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「ネイティヴ・スピーカー」はどこから来たのか?――英語から日本語へと辿って

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Read the English version, Where Did the “Native Speaker” Come From? — Tracing a Term’s Trails from English into Japanese

 

前回のブログ「ネイティヴ英語(ネイティブ英語)話者の数を調べてみると、札幌の国際化について興味深いことが見えてきました」では、札幌にどのくらい英語母語話者が住んでいるのかを調べてみました。

札幌の街を歩いていると、年々、ネイティヴレベルの英語を話す人が増えているように感じていました。いったい実際にはどのくらいいるんだろう。そう考えて、調べてみることにしたのです。きっと簡単に分かるだろうと思っていました。

ところが、思っていたよりずっと複雑な話でした。ちょっとした短い記事を書くつもりだったのに、調べていくうちに次から次へと意外な事実が分かってきて、気がつけばどんどん長くなってしまいました。

そこで今度は、英語の native に当たる日本語の「ネイティヴ」と「ネイティブ」に目を向けてみることにしました。

なぜ同じ言葉に2つの表記があるのでしょうか。そして、英語では native speaker と二語で表すものが、どうして日本語では native という一語で表されるようになったのでしょうか。

最初は、簡単な疑問だと思っていました。きっと誰かがすでに答えを出しているはずです。あとはその答えを探せばいい。そうすれば、なぜ私が現在一般的な「ネイティブ」よりも「ネイティヴ」という表記のほうを好むのかについても書けるはずでした。

ですが、そう簡単にはいきませんでした。

調べれば調べるほど、書くべきことがどんどん増えていってしまったからです。

というわけで、「ヴ」と「ブ」の違いについては次回に回すことにします。

今回は、私がこの疑問を調べていくうちに、どんなところをたどっていったのかをご紹介します。

 


Native」の意味と使い方

歴史を調べる前に、まず英語の native が実際にどのように使われているのかを見てみましょう。

native は基本的に形容詞で、人について使う場合は、「ある場所で生まれた」や「その土地のもともとの」という意味になります。

1. Aboriginal Australians are the native inhabitants of Australia.
アボリジナル・オーストラリア人は、オーストラリアの先住民です。

2. Native people were allowed to retain some sense of their traditional culture and religion.
先住民は、伝統的な文化や宗教をある程度残すことを認められていました。

3. Native guides accompanied the expedition through the rainforest.
現地出身のガイドたちが、熱帯雨林を進む探検隊に同行しました。

4. She moved to Tokyo, but she is a native New Yorker.
彼女は東京に引っ越しましたが、ニューヨーク出身(ニューヨーク生まれ)です。

 

一方、人を指す名詞として使われる場合は、「その場所で生まれた人」や「もともとその土地の人」という意味になります。

1. Judy is a native of Scotland now living in the United States.
ジュディはスコットランド生まれで、現在はアメリカに住んでいます。

2. Dr. Aubin is a native of St Blaise.
オーバン博士はサン・ブレーズ生まれです。

3. He is a native of France, but he has lived in the United States for most of his life.
彼はフランス生まれですが、人生の大半をアメリカで過ごしています。

 

言語について使う場合、native は、その人が幼少期に最初に身につけた言語を指します。

1. She spoke not only her native language, Swedish, but also English and French.
彼女は母語であるスウェーデン語だけでなく、英語とフランス語も話しました。

2. French is not my native tongue.
フランス語は私の母語ではありません。

3. Although Kara speaks Spanish fluently, Mandarin is her native language.
カーラはスペイン語を流暢に話しますが、彼女の母語は中国語(標準中国語)です。

 

そして最後に、native speaker という表現があります。これは、子どもの頃にその言語を身につけ、幼い頃からその言語を話してきた人を指します。

1. Although he has studied Spanish for years, he will never speak it exactly like a native speaker.
彼は何年もスペイン語を勉強していますが、母語話者とまったく同じようには話せないでしょう。

2. When planning a trip to London, it is helpful to practice conversational English with a native speaker.
ロンドン旅行を計画しているなら、母語話者と会話の練習をすると役に立ちます。

3. Even though Jim has studied hard for ten years, it is very difficult for him to speak French like a native speaker.
ジムは10年間一生懸命勉強してきましたが、母語話者のようにフランス語を話すのはとても難しいことです。

 

なお、native speaker は、前置詞 of と言語名を加えることで、さらに具体的にすることもできます。

1. Dmitri is a native speaker of Russian.
ドミトリはロシア語の母語話者です。

2. Since Naomi’s parents are from Tokyo, she is a native speaker of Japanese.
ナオミの両親は東京出身なので、彼女は日本語の母語話者です。

 

もう一つの方法は、nativespeaker の間に言語名を挟む(形容詞として置く)ことです。

1. Anna writes and speaks flawlessly because she is a native Russian speaker.
アンナはロシア語が母語なので、完璧に読み書きし、話すことができます。

2. The international company is looking to hire a native English speaker to translate their corporate documents.
その国際企業は、社内文書を翻訳してくれる英語母語話者を探しています。

3. Although Keiko has lived in Madrid for ten years, she still does not sound like a native Spanish speaker.
ケイコはマドリードに10年間住んでいますが、それでも母語話者のようなスペイン語は話せません。

 

英語と日本語での「native speaker」の違い

ここでは、英語と日本語で、これらの言葉をどのように組み合わせるかに大きな違いがあります。日本語では、言語名が「ネイティブスピーカー」の前に来ます。たとえば、「native English speaker」は次のように表現できます。

  • 英語のネイティブスピーカー(native English speaker)
  • 英語ネイティブスピーカー(native English speaker)

さらに、短くして次のように言うこともできます。

  • 英語ネイティブ(native English speaker の日本語での短縮形)

英語では仕組みが違います。言語名をそのままフレーズの最初に置くことはできません。言語名は nativespeaker の間に入れるか、前置詞 of を使ってフレーズの後ろに置きます。

  • a native German speaker(ドイツ語のネイティブスピーカー)
  • native German speakers(ドイツ語のネイティブスピーカーたち)
  • a native speaker of Taiwanese(台湾語のネイティブスピーカー)
  • native speakers of Taiwanese(台湾語のネイティブスピーカーたち)

 

もう一つ重要な違いがあります。日本語では、ネイティブスピーカーを「ネイティブ」と短くしても、「native speaker」という意味を保つことができます。英語ではそうはいきません。

たとえば、a native Korean speaker から speaker を取ると、次のようになります。

  • a native Korean(もともと韓国の人/韓国出身の人)

このように speaker がなくなると、Korean は使われ方によって、人を指す場合もあれば、韓国語を表す形容詞として使われる場合もあります。

  • a native Korean accent(韓国語のネイティブらしいアクセント)
  • native Korean pronunciation(韓国語のネイティブらしい発音)

 

native speaker の後ろに言語名が来る場合も、同じような問題が起こります。

  • a native speaker of Korean → a native of Korean (incorrect)
    (「韓国語のネイティブスピーカー」を意味する表現として a native of Korean とするのは誤り)

ここでの native は、その場所で生まれた人、またはもともとその土地の人を指す名詞になります。そのため、正しい英語の表現では言語名ではなく国名を使って a native of Korea と言います。

  • a native of Korea(韓国出身の人/韓国の人)
  • natives of Korea(韓国出身の人々/韓国の人々)

 

このように、native speaker と「ネイティブスピーカー」は一見するとそのまま対応しているように見えますが、実際には同じようには使われません。英語の native speaker は、子どもの頃にその言語を身につけ、幼い頃からその言語を話してきた人を指す決まった表現です。一方、日本語では「ネイティブスピーカー」を「ネイティブ」と短くしても、言語に関する「native speaker」という意味を保つことができます。

これらの nativenative speaker の使い方は、ぱっと見は単純に思えるかもしれません。でも、ここまで見てきたように、英語と日本語は、思ったほどきれいに対応しているわけではありません。この違いに注目していくと、別の疑問が浮かんできました。日本語では、どのようにして native speaker から単に native へと変化していったのでしょうか。この疑問を追いかけていくうちに、長い発見の旅が始まりました。

 


Native」、日本に登場

では、ここからは、日本語の中で native が使われた初期の例を見ていきましょう。

1862年、native が堀達之助の『英和對譯袖珍辭書』に登場します。

1853年のペリー来航の際に通詞を務め、オランダ語を専門とした堀達之助は、後に幕府の命を受けて英和辞書の編纂に携わりました。こうして作られた『英和對譯袖珍辭書』は、日本で初めて印刷・出版された英和辞書となりました。

私がこれまでに見つけた中では、これが native の最も古い印刷辞書の用例です。

  • native, s., 其土地ニ生レタル人
  • native, adj., 根元ノ生レ付キノ生レノ
  • native country, 本国

 

『英和對譯袖珍辭書』第2版(1867年)263頁「native」の項

『英和對譯袖珍辭書』第2版(1867年)263頁「native」の項

 

1872年、1873年、1887年、1890年に出版された英和辞書にも、ほぼ同じ説明が載っています。

つまり、これらの辞書では英語の native がどんな意味なのかは説明されていました。でも、当時の日本人がその発音を実際にどう書いていたのかまでは分かりません。

そこで、今度は辞書の意味ではなく、実際の表記を見てみましょう。

1871年に出版された『通俗英吉利単語篇』には、native country という表現が、発音をそのままカタカナで書き表す形で「子ーテ井ブ コーントリイ」と記されています。現在のカタカナに直すと「ネーテイブ コーントリイ」です。

これは、私が見つけた中でもかなり早い時期の、native がまとまったフレーズの中でカタカナ表記された印刷例の一つです。

 

『通俗英吉利単語篇』(1871年)8頁「native country」の項

『通俗英吉利単語篇』(1871年)8頁「native country」の項

 

そして翌年、同じ native country という表現が『西洋画引節用集』では「子ーテヴ カンツレー」と書かれています。現在のカタカナにすると「ネーテヴ カンツレー」です。

ここで、「」から「」への表記の違いに気づきます。

これは、native の中にある英語の「v」の音を、どうにか日本語で表そうとした初期の試みの一つだったと考えられます。

 

『西洋画引節用集」2編(1872年)11頁「native country」の項

『西洋画引節用集」2編(1872年)11頁

 

それまでに見つかった表記は、今私たちが見慣れているものとはかなり違っていました。そこで次に気になったのが、「ネーティヴ」という表記そのものが、いったいいつ初めて登場したのかということです。

1883年、『ウヰルソン氏第一リードル音読』の読本の中に、「ネーティヴ」というカタカナ表記が登場します。発音・音読のための読本に収録された読解教材の一節です。

英語に戻してみると、次のような文章でした。

Lesson 29th. The Lion. The lion is often called the king of beasts, and when he is wild and roaming over his native plains in pursuit of his prey, he is feared both by beasts and men. We cannot well judge how strong and fierce he is from what we see of him in a tame state.

 

『ウヰルソン氏第一リードル音読』(1883年)52頁「ネーティヴ」の項

『ウヰルソン氏第一リードル音読』(1883年)52

 

この表記は1886年の『警官英和会話篇』にも再び登場します。そこには、”Pealse [sic] tell me where is your native country” という英文に対して「プリース テル ミー ホウェヤー イス ユア ネーティヴ カンツリー」とカタカナが振られ、「足下ノ本國ハ何國デスカ」と訳されています。

ウィルソンの読本と同じく、ここでも発音を示すためにカタカナが使われていますが、単なる読解練習ではなく、実際の会話のやり取りの中で「ネーティヴ」と発音する練習を警察官にさせるためのものでした。

 

『警官英和会話篇』(1886年)131頁「Pealse (sp) tell me where is your native country」の項

『警官英和会話篇』(1886年)131頁

 

そこから、また自然に次の疑問が出てきました。

「ネーティヴ」は、英語学習の教材以外にも広がっていたのでしょうか。

1901年には、『最近英国小説史』の中に「ネーティヴ」が登場します。ここでは、トーマス・ハーディが1878年に発表した小説 The Return of the Native が、『ゼ・レターン・オブ・ゼ・ネーティヴ』と音訳されています。

文学評論の中でもこの表記が使われていることを考えると、英文学について書く人たちの間でも、「ネーティヴ」が定番の表記として使われ始めていたようです。

では、辞書ではいつ頃から「ネーティヴ」が標準的な表記として扱われるようになったのでしょうか。

その一つの答えが、1905年の『中学英和字書』です。この辞書では、native の見出し語として「ネーティヴ」が使われ、native country も一緒に載っています。

明治時代の終わり頃には、「ネーティヴ」は英和辞書の中でも、すっかり定番の表記として定着していたようです。

 

『中学英和字書』(1905年)178

 


Native」が日本語になっていく

1914年、大きな転機が訪れます。

勝屋英造の『外来語辞典』に、「ネーチブ」という見出しが初めて登場します。そこには native countrynative tonguenative place も一緒に載っています。

この辞書では、「ネーチブ」の正しい表記として「ネーチィヴ」も示されています。つまり、この時点ではすでに「ネーチブ」と「ネーチィヴ」の両方が使われていたことが分かります。

以下は、辞書の記述をもとに、漢字を現代の字体に直して、そのまま書き写したものです。

 

  • ネーチブ (Native) [英] 正しくは「ネーティヴ」。(一) 生来の。天賦の。生国の。土着の。自然の。天然の。(二) 土人。土民。内地人。
  • ネーチブ・カンツリー (Native country) [英] 生国。本国。
  • ネーチブ・タング (Native tongue) [英] 自国語。土語。
  • ネーチブ・プレース (Native place) [英] 生地。故郷。郷土。

 

「ネーチブ」の初出項目。『外来語辞典』(1914年)182頁

「ネーチブ」の初出項目。『外来語辞典』(1914年)182頁

 

さらに興味深いのは、辞書そのものが「正しくは」として「ネーティヴ」という表記を示していることです。

つまり1914年の時点で、すでに複数の表記が使われていて、辞書を作る側もその中から「こちらが正しい」と一つを選んでいたわけです。

明治時代から戦前にかけては、外国語を日本語で表すときに、いくつもの表記が使われることが珍しくありませんでした。native も、ネーテイヴ、ネーチヴ、ネイティヴ、ネーチイブなど、さまざまな形で書かれています。

英語の発音をより忠実に表そうとする翻訳者の中には、有声唇歯摩擦音 [v] を表すために、「」よりも「」を使う人もいました。これは明治・大正時代の文学関係者の間でもよく見られた表記です。

それまでに見てきた英語学習の教材とは、ここで少し事情が変わります。

この辞書が扱っているのは、単に意味を説明するための英単語ではなく、すでに日本語の中に入ってきていた外国語です。

つまり、native はもう「説明される英単語」ではありませんでした。

日本語の一部になり始めていたのです。

1925年の『英和辞典:発音引』と、1932年の『現代語大辞典』を見ると、大正末期から昭和初期にかけて、「ネーティヴ」が標準的な表記になっていたことが分かります。

ただし、ネーチブ、ネーチヴ、ネーテイヴ、ネイティヴ、ネイテイヴ、ネーテイブといった別の表記も、ときどき使われていました。

現在の「ネイティブ」は、戦前にはまだかなり珍しく、見つかる例もほんのわずかです。

1941年には、『東方会の旗は進む』という政治的な文章の中にも「ネーティヴ」が登場します。

ここでは「ネーティヴ・コンサーヴァティヴ (native conservative)」という表現が使われています。

単に native と conservative を別々の英単語として音訳しただけではなく、「ネーティヴ・コンサーヴァティヴ」という新しい複合語を作って、政治的な文章の中で自然に使っているわけです。

これは、native が単に英語の単語を日本語で書き表すためのものではなく、日本語の中で新しい表現を作るためにも使えるほど定着していたことを示しているように思えます。

実際の文章では、次のように使われています。

日本のネーティヴ・コンサーヴァティヴ―日本の土着右翼はロシヤとの決戰は覺悟するが、アメリカとの戰爭は好まない。支那問題は支那との戰爭だけで決めたい積りだ。これは着實な考へ方である。(15頁)

戦前には「ネーティヴ」が主流の表記でしたが、戦後になると、native の歴史は思いがけない方向に進んでいきます。

1950年代から60年代にかけて、「ネイティヴ」と、その別の表記である「ネイティブ」が、少しずつ「ネーティヴ」や「ネーティブ」に取って代わっていきました。

そして1970年代には「ネイティブ」が最も一般的な表記になり、1980年代から90年代にかけて、一般にも一気に広まっていきます。

それでも、なぜこの時期に「ネー」が「ネイ」に変わっていったのかについては、いまだにはっきりした答えを見つけられていません。

一つ考えられるのは、アメリカ英語の発音が、それまでのイギリス英語の発音よりも日本人に身近になっていったことです。

英語の native の「a」の音は、一つの音節の中で二つの母音が滑らかにつながる音です。こうした音を二重母音(diphthong)といいます。たとえば day の「ay」のような音です。

もしかすると、当時のアメリカ英語の発音が広まるにつれて、この二重母音の響きが「ネー」よりも「ネイ」に近く感じられるようになったのかもしれません。

もう一つ考えられるのは、英語を実際に耳で聞く機会が増えたことで、二重母音の音をより正確に表そうとする表記が広まったという可能性です。

ただ、今のところ、まだ答えは見つかっていません。もう少し調べてみる必要がありそうです。

 


政府が表記に関わってくる

この言葉の歴史に大きな影響を与えたのは、辞書や出版社だけではありませんでした。政府の方針も、重要な役割を果たしています。

1954年、国語審議会は『外来語の表記』という報告を出しました。

その中では、「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」の音は、原則として「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書くように勧めています。この規定は、「外来語表記の原則」の第10項に出てきます。

ただ、この規定を実際に読んでみると、国語審議会がかなり幅を持たせた書き方をしていることが分かります。ここは、そのまま引用してみましょう。

10 原音における「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」・「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」の音は、なるべく「ハ」「ヒ」「ヘ」「ホ」「バ」「ビ」「ブ」「ベ」「ボ」と書く。
プラットホーム(platform)ホルマリン(Formalin)バイオリン(violin)ビタミン(Vitamin)ベランダ(veranda)
ただし、原音の意識がなお残っているものは、「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」・「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」「ヴェ」「ヴォ」と書いてもよい。
ファインプレー(fine-play)フェミニスト(feminist)
ヴェール(veil)ヴォキャブラリー(vocabulary)

(注記)国語審議会総会において、この条項について、たとえば「フェルト」か「ヘルト」か、「フィルム」か「フイルム」かをめぐって、

(1)外来語の発音の事実をどう認めるか、

(2)その事実をどうかなで書き表わすか、

(3)その発音なり表記なりを決定するとき現実どおりにするか将来を考えるか、

(4)その考え方にも簡易化のほうに向かって考えるか、日本語の音を豊富にするほうに向かって考えるかについて論議された。

 

文部省『国語シリーズ27 外来語の表記 資料集』(1955年)第10項、6-7頁

文部省『国語シリーズ27 外来語の表記 資料集』(1955年)第10項、6-7頁

 

」を禁止していたどころか、第10項では、具体的な例として「ヴェール(veil)」と「ヴォキャブラリー(vocabulary)」が挙げられていました。基本的には「バ行」を使うことが勧められていましたが、原音の意識がなお残っている場合には、「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」を使うことも認められていました。つまり、「バ行」が標準とされ、「ヴ」の5つの形は禁止されていた、という単純な話ではありませんでした。

また、注記を見ると、外国語の音を日本語でどう表すべきかについて、国語審議会にも簡単には決められないという意識があったことが分かります。「フェルト」と「ヘルト」のどちらにするか、「フィルム」と「フイルム」のどちらにするかといった問題について、実際に議論が行われていました。

ここでもう一つ、見ておきたい規定があります。7は長音の表記についての規定ですが、実はこの規定が示す方向と、その後の実際の使われ方との間には、少しずつずれが生じていくことになります。

7 長音を示すには、長音符号「ー」を添えて示し、母音字を重ねたり、「ウ」を用いたりしない。
ボール(ball) オートバイ(auto-bicycle)
なお、原音における二重母音の「エイ」「オウ」は長音とみなす。
ショー(show) メーデー(May Day)
[例外]エイト(eight) ペイント(paint)

 

文部省『国語シリーズ27 外来語の表記 資料集』(1955年)第10項、6-7頁

第7項、5-6頁

 

1954年のこの報告には native という言葉そのものは出てきません。でも、英語の /eɪ/ の音をどう表記するかについての考え方を見ると、当時の表記のルールがよく分かります。

例えば、raincoat は「レインコート」ではなく「レーンコート」と書くようになっていて、「レインコートとは書かない」とまで明記されています。

また、main event も「メインイベント」ではなく「メーンイベント」となっています。

つまり国語審議会は、英語の /eɪ/ を表すとき、「エイ」という二つの母音を並べるよりも、長音符号「」を使うことを基本としていたのです。

これは、「ネイティブ」ではなく「ネーティブ」とする表記の考え方と同じです。

ところが、実際の使用は逆の方向へ進んでいきました。

その後の20年間ほどで、「ネーティブ」が「ネイティブ」に急速に取って代わっていきます 。なぜそうなったのか、私は今でもはっきりした答えを見つけられていません。

この報告をめぐる議論からは、外来語をどう表記するかについて、大きな意見の対立があったことが分かります。外国語の音を日本語の音に合わせて簡単に表すべきなのか。それとも、日本語にはもともとない音も取り入れて、外国語の発音をできるだけ忠実に表すべきなのか。

審議会の中には、外国語の発音をより忠実に表したほうがいいと考える人もいました。しかし、多数派は、表記の仕組みそのものを変えていくよりも、その時代に実際に使われている表記に合わせていくほうを支持しました。この議論を見ていくと、「ヴ」が完全になくならず、主流の表記ではないものの、使ってもよい表記として残った理由も少し分かってきます。

政府が外来語の表記について正式に取り上げたのは、その後、1991年にもう一度あるだけです。この年、政府は国語審議会の新しい「外来語の表記」と題する報告を採択し、内閣告示として告示しました。

この告示では、1を外来語や外国の地名・人名を書くときに一般的に使う仮名、2を原音や原つづりになるべく近く表したいときに使う仮名としていました。この考え方に基づいて、「バ・ビ・ブ・ベ・ボ」は第1表の表記とされました。一方、「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」は第2表に入れられました。

第2表には、このほかにも、一般的な日本語の音にはなかった仮名の組み合わせとして、「イェ・ウィ・ウェ・ウォ | クァ・クィ・ツィ・クェ・クォ | トゥ・グァ・ドゥ | テュ・フュ・ヴュ」が含まれています。これらは、原音や原つづりにより近く表したい場合には使うことができますが、必ず使わなければならないわけではありません。

 

内閣告示第2号「外来語の表記」(1991年)表2、2頁

内閣告示第2号「外来語の表記」(1991年)表2、2頁

内閣告示第2号「外来語の表記」(1991年)表2、7頁

 表2、第7項、6頁

 

つまり、この告示では「ヴ行」の表記を使う場合にも、はっきりした役割が与えられていました。原音や原つづりにより近く表したいときには「ヴ」を使える。でも、「ヴ」は一般的に使う第1表には入っていない。

実際には、ここに一種の優先順位が生まれます。外国語の発音を特に忠実に表そうとしない場合は「」を使うのが基本で、「」は、より高い音声的な忠実さ(phonetic fidelity)を求めるときに選ぶ表記になったのです。第1表の一般的な表記ではなく、あえて選ぶ表記だったわけです。

1991年の告示は、「ヴ」を主流の表記として認める方向に進んだというより、むしろ「」の立場をさらに強めた、と考えることもできます。出版社や編集者にとっても、「ブ」を基本の表記として使い続けることができる、公的なよりどころになったのではないでしょうか。

もちろん、「ネイティヴ」から「ネイティブ」への変化が、この政府の方針によって直接起こったという証拠はありません。それでも、1954年の報告は法律ではなかったとはいえ、外来語の表記について他に公的な基準がなかったため、実際には公文書や学校などで一種の公的な基準のような役割を果たしていました。

そのため、それまで「ヴ」を使っていた外来語についても、作家や翻訳者、編集者が「」のほうを選ぶようになることに、少なからず影響を与えた可能性はあります。「ネイティヴ」が時間とともに自然に消えていったというよりも、印刷物の中で「ネイティブ」と書く人が少しずつ増え、それがやがて「ネイティヴ」に取って代わり、普通の表記になっていった――そんな流れだったのではないでしょうか。

そして、この変化が進むにつれて、「」は外来語で使われる、より身近な表記になっていきました。一方で、「」は、あえて選ぶ表記として残り、今でも使われています。ただ、以前のように自然に選ばれる表記ではなくなった、ということなのだと思います。

 


「Native speaker」の登場

「native speaker」が1960年代の日本でどのように使われるようになったのかを見る前に、まずは英語での歴史を少し振り返ってみました。

『オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)』では、名詞句 native speaker の最も早い使用例として、ジョージ・パーキンス・マーシュ(George Perkins Marsh)の1859年の Lectures on the English Language を挙げています。ただし、マーシュがこの言葉を使ったときには、ドイツ人の母語話者が、フランス語や英語では十分に表現されていない「統語上の原則」を身につけていることを指していました(p. 13)。

ところが、Google Booksで調べてみると、マーシュの本より前の使用例がいくつか見つかりました。その中でも特に興味深かったのが、1848年の The Missionary Herald に掲載された例です。これは、19世紀のアメリカ人に向けて、海外で活動する宣教師たちが現地の習慣や異文化との出会いについて書いた手紙をまとめたものです。

当時のアモイ(現在の中国・厦門)から送られた手紙の中で、ポールマン氏は、中国の土着の語り手(native speakers)と、外国人宣教師の独特な話し方を対比しています。

外国人が中国語を話すという珍しさに加えて、話し方や話の伝え方にも、人々の注目を集めるものがあります。そこには、温かい心、真剣な表現、印象的な言及、そして適切な比喩があります。一方、土着の語り手(native speaker)には、感情がほとんど感じられません。土着の語り手が話していると、聴衆が途中で帰ってしまうことも珍しくありませんが、宣教師が話し始めると、また人が集まってきます。このことは、現地の改宗者が伝道者として働いているすべての場所で、何度も見られています。

 

『ザ・ミッショナリー・ヘラルド』(1848年)83頁「native speaker」の項

『ザ・ミッショナリー・ヘラルド』(1848年)83頁

 

この The Missionary Herald の例を見ると、当時の native speaker には、「外国人の語り手」に対する「土着の語り手」といった、より広い意味合いが含まれていた可能性が考えられます。これは、マーシュの講義に見られるような、言語をどの程度身につけているかという能力を基準にした、より専門的な意味とは少し違います。

こうした初期の例を経て、この表現は文献学をはじめとする学術的な言語研究の分野にも登場するようになります。文法学者や方言研究者、言語改革を進める人たちは、自然に身につけた言語能力と、学校などで正式に学んで身につけた能力を区別するために、この言葉を使っていました。

そして20世紀前半から半ばにかけて、native speaker という表現は、主に学術や語学教育の世界で使われ続けたようです。文法書や辞書、言語学に関する議論などで見られる一方、一般的な日常表現として広く使われていたわけではありませんでした。

Google Books Ngram Viewerで native speaker を検索してみても、このことが裏付けられます。下のNgramグラフを見ると、native speaker は1945年頃まではほとんど見られません。

それに対して、native tonguenative language は、何世紀も前からすでに定着していました。

もし英語で native speaker という表現自体が第二次世界大戦後までそれほど一般的ではなかったとすれば、それがいつ、そしてどのようにして、日本語では単に「ネイティブ」と呼ばれるようになったのでしょうか。

 

Google Books Ngram Viewerによる “native tongue“、”native language“、”native speaker” の歴史的頻度推移(1850年~2022年)

Google Books Ngram Viewerによる 「native tongue」native language」native speaker」の歴史的頻度推移(1850年~2022年)

 

この言葉が広まっていくうえで大きなきっかけとなったのが、第二次世界大戦中のアメリカ言語学会(Linguistic Society of America, LSA)の活動でした。LSAは、記述言語学を軍の語学訓練に取り入れることで、外国語教育の方法を大きく変えていくことになります。

1941年初め、LSAはアメリカ学術団体評議会(American Council of Learned Societies, ACLS)と協力して、集中言語プログラム(Intensive Language Program, ILP)を立ち上げました。目的は、アメリカの大学で、それまであまり教えられていなかった非西洋諸語の講座を開発することでした。

その後、真珠湾攻撃を受けてアメリカが参戦すると、軍は突然、戦略上重要な世界各地の言語を話せる人材を必要とするようになりました。そこで陸軍省がILPの拡大に資金を出し、民間の専門家が持っていた知識や、インフォーマント(informant)を使った調査方法、そして教材を取り入れて、ASTP(Army Specialized Training Program)へと発展させていきました。日本語では「陸軍特別訓練プログラム」などと呼ばれています。

兵士たちは、教科書の文法規則を暗記するのではありません。訓練を受けた言語学者の指導のもとで、native speakerである「インフォーマント」と一緒に座り、実際に話されている言葉の仕組みを一つずつ整理し、それをまねしながら身につけていきました。

ASTPでは、このような集中的な練習を毎日、全米各地の大学で行いました。この新しい、音声を中心とした口頭練習の方法は、やがて少し大まかな呼び方ではありますが、「アーミー・メソッド(Army Method)」として広く知られるようになります。

その後、LSAのメンバーたちは『Spoken Language』シリーズという画期的な語学教材を作りました。このシリーズは、ACLSの管理のもと、1944年から1946年にかけて出版されました。従来の読み書き・翻訳中心の方法に代わって、native speakerの音声録音、音声表記、そして文の構造を身につけるための文法練習を重視した点で、このシリーズは応用言語学における一つの転換点となりました。

『Spoken Japanese』は、このシリーズを代表する教材の一つです。イェール大学の言語学者バーナード・ブロック(Bernard Bloch)とエレノア・ジョーデン(Eleanor Jorden)が共同で執筆したこの教材では、新しい語学教育の方法について、序文ではっきりと説明しています。

A native speaker is the only good source of first-hand knowledge of any language. Only a native speaker can tell you whether your pronunciation sounds normal, and whether the sentences you use in your Japanese conversations are really Japanese.

native speakerは、どの言語についても、その言葉を実際に使っている人から直接知識を得るための、唯一のよい情報源です。あなたの発音が自然に聞こえるかどうか、また、日本語で会話するときに使っている文が本当に日本語として正しいかどうかを判断できるのは、native speakerだけです。

 

The method used in this Manual requires the presence of a native speaker of Japanese at every session of the group. If no native speaker is available, you can use instead the phonograph records that are supplied with the Method. Even if you have a native speaker at hand, you can still make good use of the phonograph records for extra drill and for review. The records can’t answer questions, but they can give you the same word or sentence over and over again in exactly the same way.

この教材で使われている方法では、グループで行うすべての授業に、日本語のnative speakerが参加することになっています。もしnative speakerがいない場合は、この教授法に付属している蓄音機のレコードを代わりに使うことができます。たとえnative speakerがいる場合でも、追加の練習や復習のためにレコードを十分活用することができます。レコードは質問に答えることはできませんが、同じ単語や文を、まったく同じ形で何度でも聞かせてくれます。

 

The native speaker is referred to in this Manual as the Guide. The Guide’s job is to act as a model for you to imitate, and to check your pronunciation and usage. He is not responsible for selecting and arranging the material to be learned, and he should never try to explain Japanese grammar to you. This is done by the Manual; no other teacher is necessary.

この教材では、native speakerを『Guide』と呼びます。Guideの役割は、学習者がまねをするためのモデルとなり、発音や言葉の使い方をチェックすることです。学ぶ内容を選んだり、順序を決めたりするのはGuideの仕事ではありません。また、日本語の文法を説明しようとしてはいけません。それはこの教材が行うからです。つまり、ほかの教師は必要ないということです。(iv頁)

 

この教材は、LSAとACLSのILPがアメリカ軍のために作成したもので、1945年に War Department Education Manual No. 561 として出版されました。

しかも、これは一冊だけの特別な教材ではありませんでした。第二次世界大戦中に進められた、より大規模な語学教育プロジェクトの一部だったのです。

LSAが戦時中に進めたこうした取り組みは、戦後の外国語教育にも大きな影響を与えました。言語を学ぶときに、native speakerの発音や話し方を中心に据えるという考え方が広まり、それは後のオーディオ・リンガル・メソッドや、現在でも世界各地で使われている語学ラボへとつながっていきます。

『Spoken Language』シリーズのほかの教材でも、序文にはよく似た表現が使われています。そこでは繰り返し、native speakerこそが本物の話し言葉を知るための唯一の情報源であり、正確な発音や言葉の使い方を身につけるために欠かせない存在だと強調されていました。

 

陸軍省教育マニュアル第561号『Spoken Japanese: Basic Course, Units 1–12』(1945年)の表題紙

陸軍省教育マニュアル第561号『Spoken Japanese: Basic Course, Units 1–12』(1945年)の表題紙

 

native speaker」が戦後になって急速に広まった理由を考えるには、1941年に始まったILPが、その後どれほど大きな規模に成長したのかを少し振り返ってみる必要があります。LSAの言語学者たちは、主要な大学でnative speakerの「インフォーマント(informants)」、または「ドリル・マスター(drill-masters)」と呼ばれる人たちを集め、十分な教材がなかった26の非西洋諸語について、実際に話すことを重視した教材を作りました。

1943年にはASTPが始まり、55の大学で何千人もの軍人が語学講座を受けることになりました。わずか1年のうちに、30以上の言語について約500の集中語学講座が開かれ、LSAとILPが作った、話す練習を重視した教材の謄写版や活字印刷版が学生たちに配られました。

その後、アメリカ軍教育機関(U.S. Armed Forces Institute)がこれらの教材を教育用マニュアルとして改めて編集・印刷し、陸軍省が『Spoken Language』シリーズを世界各地に駐留する兵士たちに配布しました。戦争が終わる前から、ACLSとLSAはヘンリー・ホルト社(Henry Holt and Company)と一般向け出版の契約を結んでいました。

1944年から1946年にかけて、ホルト社は『Spoken Language』シリーズを一般向けに再出版し、最終的には30の主要言語について、それぞれ78回転のシェラック盤レコードをセットにした家庭学習用の教材へと広げていきました。

それまで、native speakerという表現は、主に言語学者や語学教師の間で使われる専門的な言葉でした。ところが戦争中、この言葉はそれまでよりずっと多くの人の目に触れるようになります。

1943年から1945年にかけて、何千人もの軍人がLSAの語学教材の序文でこの言葉に出会いました。戦後になると、一般の語学学習者もACLSとLSAによる『Spoken Language』シリーズを通して、同じ考え方に触れることになります。そこでは、発音や言葉の使い方をチェックしてくれるnative speakerの「Guide」が重要な役割を果たしていました。

さらに1950年代、60年代になると、海外旅行が増え、アメリカの学校では語学ラボも広がっていきました。こうした変化によって、この言葉に触れる学習者はさらに増えたと考えられます。native speakerの音声録音も語学学習の身近な存在になり、こうして native speaker は、言語学者や語学教師だけが使う専門用語から、日常的に使われる表現へと変わっていったのではないでしょうか。

 

ここで少し個人的な話を

私がコーネル大学で日本語を勉強し始めたのは1988年のことでした。その頃、エレノア・ジョーデンは、20年近く教えてきたコーネル大学をちょうど退職したばかりでした。私が使っていたのも、彼女が書いた Japanese: The Spoken Language という教科書でした。この本は、かなも漢字も使わず、すべてローマ字で書かれていました。

この科目では、語学ラボで何時間も日本語のnative speakerの音声を聞き、その文を繰り返す練習も大きな部分を占めていました。これが私にとって、イェール大学で発展した「オーディオ・リンガル・メソッド(audiolingual method)」との最初の出会いでした。おかげで、「つ・が・を・ん」、そして「ら・り・る・れ・ろ」のような、英語話者には難しい日本語の音を身につけることができました。

その後、大学院生としてカリフォルニア大学バークレー校で日本語の勉強を続けたときには、もっと伝統的な方法に出会いました。漢字や単語リスト、文法、読解を重視する授業でした。

今振り返ってみると、一般的な、文章中心の訳読法にどっぷり入る前に、ジョーデンの「まず話す」方法で日本語を学べたことは、本当によかったと思っています。

 


Native speaker」が世界に広がる

ここまで来て、私はいったん立ち止まって、これまで集めてきた状況証拠が、実際には何を示しているのかを考えてみました。

1940年代、native speakerは、アメリカで音声を重視する外国語教育の中心的な考え方の一つになっていきました。陸軍省は、新しい「話すこと」を中心とした教材をASTPの兵士たちに配布し、アメリカ各地の大学だけでなく、海外の基地でも使われるようになりました。

戦争が終わる頃に出版された『Spoken Language』シリーズは、この言葉をさらに一般の語学学習者の世界へ広げていきました。そして、戦後に急速に増えた言語学の出版物や、外国語を学ぶ人々の市場の拡大が、その言葉を一般的な表現へと押し上げていったのではないかと思います。

もし私の考えが合っているなら、Google Books Ngram Viewerを使えば、英語の native speaker が海外に広がり、ほかの言語にも翻訳されていくのに合わせて、他の国でもこの言葉が増えていく様子が見えるはずです。ただし、英語の表現がほかの言語に定着するまでには時間がかかるでしょうから、少し遅れて増えていくのではないかとも考えました。

そして、Ngramの結果は驚くほどその予想どおりでした。

ほかの言語で検索してみると、どれも戦後に急激に増えていく同じような動きが見られました。ただし、英語のグラフより10年から20年ほど遅れています。ここでは、イギリス英語がアメリカ英語よりはっきり遅れているのも分かります。その後をドイツ語の Muttersprachler、ロシア語の носитель языка、スペイン語の hablante nativo が追いかけています。

最後に増え始めるのがフランス語の locuteur natif で、こちらは増加し始めた後も、主に言語学や語学教育の分野で使われているようです。

 

Google Books Ngram Viewerによる アメリカ英語における

アメリカ英語における native speaker

Google Books Ngram Viewerによる イギリス英語における

イギリス英語における native speaker

Google Books Ngram Viewerによる ドイツ語における

ドイツ語における Muttersprachler

Google Books Ngram Viewerによる ロシア語における

ロシア語における носитель языка

Google Books Ngram Viewerによる スペイン語における

スペイン語における hablante nativo

Google Books Ngram Viewerによる フランス語における

フランス語における locuteur natif
Google Books Ngram Viewerによる アメリカ英語における 「native speaker」、イギリス英語における 「native speaker」、ドイツ語における 「Muttersprachler」、ロシア語における 「носитель языка」、スペイン語における 「hablante nativo」、フランス語における 「locuteur natif」 の歴史的頻度推移(1930年~2022年)

 

日本でGoogle Books Ngram Viewerに近いものを探すなら、国立国会図書館(NDL)のNgram Viewerがあります。国立国会図書館は、世界でも有数の大規模な図書館です。

ネイティヴスピーカーネイティブスピーカーの検索結果を見てみると、その使用頻度が増えていく時期は、欧米の言語で見られた「native speaker 」よりも遅く、増え方もゆるやかです。

NDLのNgram Viewerは通常、1860年から2022年までを対象にしています。ところが、私が調べた「native speaker」のさまざまなカタカナ表記は、どれも1962年から始まる、途中で切り取られたようなグラフになりました。つまり、Ngramのデータベースには、それより前に出版された例が見つからないようです。

そこで英語の native speaker もグラフに加えてみると(図1)、1987年までは、日本語の表記よりも英語のほうが出版物の中で多く使われていました。ところが1987年に、「ネイティブスピーカー」がついに英語を追い越し、その後1990年代に入ると一気に使用が増えていきます。

また、1970年代になると、「ネイティブスピーカー」に代わる表現として、「母国語話者」と「母語話者」も登場します(図2)。1994年頃には、NDLのコーパスの中で「母語話者」が「ネイティブスピーカー」を上回りました。

ところが、3つ目のグラフ(図3)を見ると、「ネイティブスピーカー」から「スピーカー」の部分を省略した「ネイティブ」のほうが、「母語話者」が広まった後も、依然として好まれていたようです。

さらに興味深いのは、「ネイティブスピーカー」が「ネイティブ」と省略されても、英語の native speaker から来た「母語話者」という意味をそのまま保っていることです。つまり、もともとの「native」が持っていた「その土地の人」「土着の人」という意味に戻ったわけではありません。

こうした省略が起こるのは、その言葉が十分に定着して、完全な形で言わなくても、読者が何を意味しているのか分かるようになったときによく見られる現象です。

 

図1 NDL Ngram Viewerによる「native speaker」「ネイティブスピーカー」「ネイティヴスピーカー」の使用頻度推移(1960年~2000年)

NDL Ngram Viewerによる「native speaker」「ネイティブスピーカー」「ネイティヴスピーカー」の使用頻度推移(1960年~2000年)

図2「ネイティブスピーカー」「母国語話者」「母語話者」の使用頻度推移

NDL Ngram Viewerによる「ネイティブ」vs.「母語話者」の使用頻度推移(1960年~2000年)

図3「ネイティブ」vs.「母語話者

 

さて、ここまで来ました。

最初は、「なぜ日本語には“native”に二つの表記があるんだろう?」という、簡単そうな疑問から始めました。それが、最初に日本で出版された英和辞書から、nativeが少しずつ日本語の外来語になっていく過程、そしてやがてnative speakerが一つの独立した表現として広まっていくまで、ずいぶん長い道のりをたどることになりました。

調べていくうちに、この二つの話が思っていた以上に深くつながっていることも分かってきました。nativeは、native speakerという表現が英語で一般的になるずっと前から、何十年も日本語の中で使われていました。一方、native speakerが大きく広がるきっかけになったのは、第二次世界大戦中から戦後にかけての外国語教育の急速な発展でした。語学学習が世界中に広がるにつれて、「native speaker」という考え方も広がり、やがて日本にも入ってきたのです。

でも、まだこの話は終わっていません。次回は20世紀初めまで戻って、1910年代から1950年代にかけて日本国内で出版された、英語と日本語の書籍・雑誌などのさまざまな資料の中で、native speaker という表現がどのように使われていたのかを追ってみます。

当時の日本語の文章には、まだそれに当たる分かりやすい日本語の表現がなかったため、文の途中に英語の言葉をそのまま入れるコード・スイッチングcode-switching)の形で native speaker が使われることがありました。そして1961年になると、ついに「ネイティブスピーカー」というカタカナ表記が登場します。

そこから1960年代、70年代にかけて、英語学習の教材や教室の中でこの言葉が少しずつ増えていく様子を追い、さらに語学教育の世界の外へ広がっていくところまで見ていきます。ここでは英会話産業の急速な成長が大きな役割を果たしたようです。また、政府の政策によって日本の学校に外国人教師が増えていったことや、それらに伴うメディアの報道も関係していそうです。

この部分については、まだ調べ終わっていません。だからこそ、これからどんな証拠が出てくるのか、私自身も楽しみにしています。

そして、それでもまだ話は終わりません。

3回目の投稿では、ネイティブスピーカーという言葉が十分に定着し、日常の会話や文章の中でネイティブと省略されるようになった後に何が起きたのかを見ていきます。そして、その省略された形が日本語の中で独自の広がりを見せ、もともとの英語の表現を超えて、さまざまな意味や使い方を持つようになっていく道のりを追ってみたいと思います。

 

 


 

参考文献

  • 堀達之助[編]『英和對譯袖珍辭書』江戸:出版者不明、文久2年〔1862年〕。天理図書館所蔵本の複写(デジタル画像)。立教大学図書館デジタルライブラリ、https://library.rikkyo.ac.jp/digitallibrary/shuchinjisho/contents/con_01.html (2026年7月22日閲覧)。
  • 堀達之助[編]『英和對譯袖珍辭書』改正増補、江戸:蔵田屋清右衛門、慶應3年〔1867年〕再板。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/870101 (2026年7月22日閲覧)。
  • 梅浦元善訳『通俗英吉利単語篇』上、択善居、明治4年9月〔1871年9月〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/870172 (2026年7月22日閲覧)。
  • 井上廉平編『西洋画引節用集』2編、宝文堂、明治5年〔1872年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/870160 (2026年7月22日閲覧)。
  • 中村愿訳、攻玉社閲『ウヰルソン氏第一リードル音読』中村愿[ほか]、明治16年11月〔1883年11月〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/870634 (2026年7月22日閲覧)。
  • 『警官英和会話篇』須原鉄二、明治19年12月〔1886年12月〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/871458 (2026年7月22日閲覧)。
  • 中島茂一著『最近英国小説史』(名著綱要文学教育科;12)東京:東京専門学校出版部、明治34年〔1901年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/871639 (2026年7月22日閲覧)。
  • 野間正穡著『中学英和字書』東京:東雲堂[ほか]、明治38年〔1905年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/870171 (2026年7月22日閲覧)。
  • 勝屋英造編『外来語辞典:附・新語及神話小解』二松堂書店、大正3年〔1914年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/969165 (2026年7月22日閲覧)。
  • 堀田相爾著『英和辞典:発音引』大日本教育通信社、大正14年〔1925年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/915430 (2026年7月22日閲覧)。
  • 藤村作、千葉勉編『現代語大辞典』一新社、昭和7年〔1932年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/1188330 (2026年7月22日閲覧)。
  • 中野正剛著『東方会の旗は進む』東京講演会出版部、昭和16年〔1941年〕。国立国会図書館デジタルコレクション、https://dl.ndl.go.jp/pid/1270733 (2026年7月22日閲覧)。
  • 文部省編『国語シリーズ27 外来語の表記資料集』明治図書出版、昭和30年〔1955年〕。文化庁、https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/27/27.html (2026年7月22日閲覧)。
  • 内閣告示第2号「外来語の表記」(平成3年〔1991年〕6月28日)。文化庁、https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/gairai/ (2026年8月11日閲覧)。

 

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